羽生結弦の姉の職業と出身大学は?彼女にはゆづ様も終生頭が上がらない理由とは?

「レコードブレイカー」の異名を持つ羽生結弦選手、ついに今回の平昌オリンピックでも金メダルを獲得し、前回のソチオリンピックに続き2冠を達成しました。

その羽生結弦選手ですが、私が妻に一生頭が上がらないのと同じで、羽生結弦選手にもそんな女性がいるようです。

その彼女が実のだったのです。

それは何故なのでしょうか?その姉の職業と出身大学も気になったので、調べてみると、羽生結弦選手のルーツが分かってきました。

羽生結弦選手の家族とは?

最初にサラッと羽生結弦選手のプロフィールをご紹介します。

名前:羽生結弦(はにゅう ゆづる)
所属:ANA(全日空)
生年月日:1994年12月7日(現在23歳)
出身地:宮城県仙台市泉区
身長:172cm
血液型:B型
学歴:東北高校⇒早稲田大学人間科学部在学中。
オリンピック:ソチオリンピック金メダル、平昌オリンピック金メダル

 

その羽生結弦選手はご両親と姉の4人家族です。
ではその姉の職業と出身大学とは、、、

羽生結弦選手の姉の職業と出身大学は?

4歳年上で現在28歳の姉。
名前はさやさん。

実は羽生結弦選手の姉のさやさんも8歳から18歳までアイススケーターだったようです。

現在は、羽生結弦選手と姉にとって幼いころからゆかりの深い「アイスリンク仙台」に勤務しています。

出身大学については、一般の方ですので、残念ながら情報が見つかりませんでした。
っていう結論ではなく、姉のさやさんは大学に通っていません。

それがまさに羽生結弦選手が一生頭が上がらない理由だったのです。

いうなれば、羽生結弦選手がオリンピック2連覇という燦然と輝く大記録を達成できたのも、4ヶ月前に練習で4回転ルッツで転倒し右足関節外側靱帯を損傷しましたが、完治していないがパーフェクトの演技で魅了できる幹のように太い精神力を持てたのも、全ては姉のさやさんのおかげと言ってもいいぐらい。

どういうことかというと、、、

羽生結弦選手が姉さやさんに頭が上がらない理由とは?

まず姉のさやさんがいなければ、羽生結弦選手はフィギュアスケートをしていなかったかもしれません。

というのも羽生結弦選手より先にまず姉がスケートを始めました。

少し唐突ですが、1998年の長野オリンピックで仙台市東北高等学校在学中に活躍した日本代表選手が4人いたことを覚えていますでしょうか?

田村岳斗・本田武史・荒川静香・荒井万里絵です。

この4名を育てた、かつての名コーチで元フィギュアスケート選手だった長久保裕(ながくぼひろし)さんが仙台でフィギュアスケートのブームを巻き起こしたことに端を発します。

その長久保裕さんが所属していたのがコナミスポーツクラブ泉で、現在の「アイスリンク仙台」なのです。
1999年、羽生結弦選手の姉は、8歳の時にこのリンクで、元フィギュアスケート選手佐野稔氏が開催したスケート教室に通い始めました。

もうお分かりかもしれませんが、そのあとを追って4歳で始めたのが羽生結弦選手でした。

2歳の頃から喘息の持病を持っていた羽生結弦選手には、体力をつける意味でも室内競技のスケートは最適だったのかもしれません。

羽生結弦選手が初めての金メダルを手にしたのは、2004年9歳の時、全日本ノービス(Bクラス)でした。
そして羽生結弦選手の真骨頂といえばジャンプ。そのルーツであるダブルアクセルの飛び方を教えたのも姉のさやさんだったのえす。

2006年にはトリノオリンピックで、同じリンクの先輩、荒川静香さんが日本人初の金メダルを獲得し、フィギュアスケートに関心が集まる中、羽生結弦選手も「天才スケート少年」としてテレビで特集が組まれるほどになったのです。

そうなるとどうしても親の期待は「天才スケート少年」である羽生結弦選手に注がれます。

御存知の通り、アイススケートにはお金がかかります。
スケート靴代
エッジ代
フィギュアスケート教室代
フィギュアスケートクラブ登録代
衣装代
振り付け・楽曲代 
など年間300万円近くかかると言われています。

サラリーマンの平均年収から考えると、経済的負担はかなり大きいですよね。
それがましてや二人となると、羽生結弦選手のご両親の苦労をお察しいたします。

ですが、天才スケート選手と言われ、将来が嘱望されていた弟の羽生結弦選手。
姉としては自分がアイススケートを辞めることにより、両親の経済的負担を減らせると判断したのかもしれません。

姉のさやさんは8歳から続けていたアイススケートを辞め、そして大学進学も諦めたのです。

姉としては続けたい気持ちは少なからずあったのではないかと想像できます。
ご両親としても、胸が裂ける想いをされたことでしょう。

ただその姉さやさんの決断のおかげで、66年ぶりのオリンピック2連覇という偉業を成し遂げた羽生結弦選手を生み出したのです。

姉が導いてくれたアイススケートの道を確実に歩んできたと言っても過言ではないでしょうね。

18歳で自ら羽生結弦選手に好きなフィギュアスケートの道を譲り、家族の一人として応援にまわった姉の存在に深い感謝していることでしょう。
その深さは、マリアナ海溝よりも深いかも。

さらに、二人の想い出が沢山詰まっている「アイスリンク仙台」は、2011年3月の東日本大震災で被災します。

この時羽生結弦選手はリンクで練習中に被災し、家族と共に避難生活も経験しますが、リンク閉鎖中は、復興支援のチャリティーアイスショーを行いながら、各地のリンクで練習します。(「アイスリンク仙台」は様々な復興支援で同年7月に再開できました)

羽生結弦選手は、自叙伝「蒼い炎」「蒼い炎II」の印税全額のおよそ2,500万円と2014年のソチオリンピックの報奨金およそ600万円を「アイスリンク仙台」に寄付します。

 
姉が現在もこの「アイスリンク仙台」で勤務していることも、羽生結弦選手にとっても力強いパワーになっているのでしょうね。

そんな羽生結弦選手のルーツを知った後に、改めて平昌オリンピックでの金メダル獲得を振り返ると、熱いものがグワッとこみ上げてきますね。

そういえば、羽生結弦選手の平昌オリンピックでのフル動画をノーカット版でご覧になりたい方はコチラからご覧ください。

こんな羽生結弦選手の動画がスマホでいつもみられるなんて最高ですよね。

羽生結弦選手が鼻をかむ貴重なシーンもスマホで堪能頂けます。ウワサのショートケーキ型のティッシュケースもちらっと映っていますね^^

ジャンプも高いですよね。スローモーションで何度も観られるのがいいですね。

画像出典:U-NEXT

https://5w1h-jp.com/sports/hanhuyuduru-pyonchandouga

 
羽生結弦選手はこれからも支えてくれている方々のために、ステキな演技で魅了してくれることでしょう。
 
 
最後まで読んで頂きまして有難うございました。