八村塁選手がNBAに入り、ますますの活躍が期待されていますね。
中学校からバスケを始めた八村塁選手。
中学校時代の恩師の一言が八村塁選手にとって非常に大きい言葉だったようですね。
そこで、その当時の恩師である坂本穣治コーチの経歴とプロフィールを紹介します。
また中学校時代の動画はあるのでしょうか?
八村塁選手の恩師坂本穣治コーチの経歴プロフィールは?
まず八村塁選手の経歴を簡単に紹介しておきます。
本名:八村塁(はちむらるい)
愛称:るい、ハッチ
生年月日:1998年2月8日(現在21歳)
出身地:富山県選手経歴
2010-2013 富山市立奥田中学校
2013-2016 宮城県明成高等学校
2016-2019 ゴンザガ大学(アメリカ・ワシントン州)
2019- ワシントン・ウィザーズ
奥田中学時代に、バスケを始めた八村塁選手。
当時のコーチが坂本穣治さん。
さて、坂本穣治コーチのプロフィールですが、、、
名前:坂本穣治(さかもとじょうじ)
年齢:現在59歳(1960年生まれ)
出身:富山
坂本穣治コーチは、地元の高校でバスケをされていました。
卒業後、東京で会社員になり、一時期はバスケから離れていました。
結婚を機に地元に戻ってきて、地元に帰ることになり、高校時代の仲間とクラブチームでプレーを再開したようです。
坂本穣治コーチがバスケのコーチを始めるきっかけは富山で2000年インターハイ、国体が開催されることと関係していたようですね。
「そのころ同級生が富山商業高校の監督をいていて。1994年に富山でインターハイ、2000年には国体が開催されるので、富山商が強化を任されたというのに、富山市出身の選手がいないという。なぜかというと、当時富山市にはミニバスがなかったから。自分も30歳を過ぎ、もう現役を退こうとしていた時で、『小学生を見てくれないか』と言われたのがコーチになるきっかけでした」
けれど、坂本穣治コーチはバスケのコーチング経験はなし。
そこで、バスケ指導者として有名な中村和雄さん(元バスケットボール女子日本代表ヘッドコーチ)や原田茂さん(元樟蔭東高校・短期大学バスケ部監督)に師事されたようです。
そして、現バスケ日本代表の馬場雄大選手で、元バスケ日本代表候補にもなった父親の馬場敏春さんが富山に引っ越してきました。
馬場敏春さんは日本代表候補に選出されましたが、代表候補合宿後候補から脱落してしまったようです。
出展:https://sports.yahoo.co.jp/column/
その馬場敏春さんからも指導者として教えてもらい、坂本穣治さんはバスケコーチとして実力を上げていきます。
奥田中学時代には、馬場敏春さんの息子である馬場雄大選手も指導にあたりました。
馬場雄大選手が3年の頃に、1年で入学したのが八村塁選手。
ですが、八村塁選手は、小学校時代は、野球に没頭していました。
小学6年の時は陸上で全国大会にも出場した経験もあり、運動能力の高さの片鱗は見せていましたが、バスケの経験は一切なし。
幼少時代は野球少年だった。投手と捕手を兼任し、「イチロー・スズキがアイドルだった」と記事ではマリナーズのイチローに憧れていたことを紹介している。
転機は13歳だった。野球部のチームメートがすでに身体能力抜群だった八村を熱心にバスケに勧誘したという。
「すごく厄介でしたよ。バスケットボールをプレーしない。絶対にね。と言っていたんですけどね。毎朝『バスケやろうよ。入部テストを受けようよ』と誘ってきます。2週間連続だったので、自分もテストを受けたら、コーチがすごく気に入ってくれました」
出展:https://the-ans.jp/news/59725/
といっていますが、実は、その友人に八村塁選手をバスケに誘わせていたのは坂本穣治コーチだったようです。
「塁が中学に入ってきて、野球は続けないという情報を耳にして。4月、新入生が行う部活見学で塁はバスケ部に来なかったのですが、5月の連休が終わっても部活動が決まっていないみたいだということで、同じ小学校から来た子たちに『とにかく連れて来て』と言ったのがきっかけです。」
馬場雄大選手と八村塁選手の中学時代のプレー動画があるかと思ったのですが、
「よくテレビの取材などで『2人が一緒に試合に出ている映像はないですか?』と聞かれますが、本当にないんです。だって無理ですよ。夏までの間に塁はまだ試合に出られる状況ではなかった。出られるようになるのは3年生が引退して新チームになってから。しかも最初はちょっとずつという感じで、2年生の夏になっても半分くらい出せるという感じでした」
と語っていますので、本当にないようですね。
当時の馬場雄大選手はすでに中心選手。
かたや八村塁選手はバスケの素人。
たしかに一緒にプレーするのは無理だったでしょうね。
なので、馬場雄大選手も八村塁選手がNBAプレイヤーになることは当時想像もしていなかったかもしれませんね。
こんなに立派になって、、
先輩は、嬉しい限りです、、。#teamokuda#teamtoyama pic.twitter.com/MgA45iqjcq— Yudai Baba 馬場雄大 (@yudai_baba) June 21, 2019
中学当時の八村塁選手ですが、おとなしかったようですね。
八村が3年の時、奥田中学は初めて全国中学校大会(全中)に出場を果たします。
「北信越には新潟や石川という全中に優勝するような強豪チームが多く、なかなか全国への壁を突破できなかったのですが、塁が3年の時、埼玉全中に出場しました。でも、決して塁のワンマンチームではなかったんですよ。一番点を取っていたのは、現在東海大学3年の笹倉(怜寿/東海大学付属第三高校出身)でしたから。塁はおとなしいタイプで目立たないようにしていたところもあると思います。」
八村塁選手がNBAを意識したのは、この坂本穣治コーチの一言
「将来はNBAを目指せ!」と言われたからというのは有名な話ですね。
ただ坂本穣治コーチは
「僕はそれほどNBAには詳しくはないので、ちょっと古いけどマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズ他)やマジック・ジョンソン(元レイカーズ)が載っている雑誌を見せたり。チームメイトの中には最近の映像を持っている子もいたので、『塁に見せてやって』と。でもそれはNBAに行かせるためのものではなかったのです。本当に行けるとは思ってなかったし(笑)。理由はバスケを辞めさせたくないから。バスケを楽しいと思ってもらうための材料でした。だって現実は厳しいですよ。ミニからバスケをしていた同級生はできても、ボールハンドリングなど自分はできない。いつも凹んでいましたからね」
とおっしゃっています。
今の八村塁選手では想像も出来ないですね。
それでも
塁は(広範囲を見る)間接視野がものすごい広い。パスもうまかった
と理解力の早さと運動能力の高さは当時から頭一つ抜けていたようです。
中学2年時で全国から約30人が集められたU―14の合宿に参加したあと、「うまいやつ、いっぱいいたか?」と聞くと「うん、俺は3番目くらいだった」と答えが返ってきた。「それが自信につながって、顔つきまで変わった」。誰よりも早く午前6時30分に体育館に来て、黙々とシュートを打っていた。入学当時は身長170センチで線も細かったが、3年時で188センチに。チームを全国大会準優勝に導き、高校は10校以上から勧誘を受けたようですね。
出展:https://hochi.news/articles/
その後、明成高校、ゴンザガ大学に進学し、実力をメキメキと上げたた八村塁選手はNBAのドラフトで選ばれた後、坂本穣治コーチに、「やりましたよ。全てはコーチから始まりました」と涙声で話したそうですね。
そんな坂本穣治コーチの現在ですが、、、
坂本穣治コーチの現在は?
坂本穣治コーチの現在も奥田中学校のバスケ部のコーチをされています。
「奥田中学の教員なの?」
と思った方もいるかもしれませんが、そうではないようです。
坂本穣治コーチは、富山市内で会社を経営する傍ら、バスケのコーチをされているみたいですね。
そして、坂本穣治コーチにはこれからもNBA選手を育てていってほしいですね。
八村塁選手の中学時代の動画は?
八村塁選手の中学時代の動画を探したところ、こちらの動画がありました。
2012年8月24日に行われた全国中学バスケ大会男子決勝戦
奥田(富山県)vs 西福岡(福岡県)
何番が八村塁選手かは一発でわかりますね。
https://youtu.be/fr3GPO6afuQ
55対72で敗れていますが、決勝戦では20得点をマーク。
大会のベスト5に選出されています。
試合の選評はこちらをご覧ください。
http://saitama.japanbasketball.jp/zenchu/
八村塁選手の恩師坂本穣治コーチまとめ
八村塁選手の恩師坂本穣治コーチ情報をまとめてみました。
坂本穣治コーチはこんなことも語っています。
「最初は本気で『NBA』と言っていたわけではなかったが、彼が真剣に目指すのを見るうちに、いつの間にか私の夢にもなっていた」と。
八村塁選手に夢を与え、八村塁選手は見事にその夢を叶えました。
さらなら活躍を楽しみにしたいですね。
最後まで読んでいただき有難うございました!