畑中葉子と平尾昌晃の関係は?現在は何してるの?平尾勇気とカナダからの手紙の超レア動画

畑中葉子さんと平尾昌晃さんといえば、『カナダからの手紙』を思い出す方もいらっしゃるかもしれません。

2人は師弟の関係のはずですが、それ以上の関係というウワサがあるようですが、本当でしょうか?

で、畑中葉子さんは現在何をされているのでしょうか?

畑中葉子さんを調べていたら、平尾昌晃さんの息子である平尾勇気さんとカナダからの手紙を歌っている貴重動画ありました。

超レアな動画ですので、ぜひご覧ください。

畑中葉子さんと平尾昌晃さんの関係は?

まず、平尾昌晃さんが2017年7月21日に亡くなられてしまいました。

「平尾昌晃って誰?」という方ももしかしたらなかにはいらっしゃるかもしれませんが、、、

一番わかりやすく言うと、毎年年末に行われるNHK紅白歌合戦のフィナーレに出演者全員で歌う『蛍の光』の指揮をしているのが平尾昌晃さんです。

「あーあの人か!」と思い出しましたか。

昭和の大ヒット曲「よこはまたそがれ」「瀬戸の花嫁」を作曲された方として知られています。

平尾昌晃音楽学校(現在の平尾昌晃ミュージックスクール)からは「えっ!こんな人が出身なの!」って方々が卒業されています。

まずは
松田聖子さん
森口博子さん、
川島なお美さん、
後藤真希さん(元モーニング娘)
そして、倖田來未さんも平尾昌晃ミュージックスクールの卒業生です。

コチラのホームページによると、今まで120名近いアーティストを生み出しています。

また一人昭和の偉大な方が天国に旅立ってしまいました。

心よりお悔やみ申し上げます。
 
 
さて、畑中葉子さんも平尾昌晃歌謡スクールで歌のレッスンを受けていました。

1978年に平尾昌晃さんとのデュエットソング『カナダからの手紙』で歌手デビューしています。

「ラブレターフロムカナダ♪」って曲ですので、一度はお聴きになられたことがあるかと思います。

畑中葉子さんは当時、まだ18歳の時でした。一方平尾昌晃さんは、当時40歳。

2人はただの師弟関係ではなく、ウワサによると男女の関係だったと。

というのも実は、平尾昌晃さんは歌手をすでに引退されていました。しかし、平尾昌晃さんは畑中葉子さんとのデュエットを組んでレコードを出し歌手に復帰しました。

もう一度言いますが、平尾昌晃さんは当時40歳で歌の先生。畑中葉子さんは当時18歳で平尾昌晃さんの教え子。

そうなると、あること、ないこと想像する方がいるんでしょうね。

『カナダからの手紙』が大ヒットし、畑中葉子さんは紅白歌合戦にも出場し一躍人気アイドルになります。

その後も、平尾昌晃さんと
エーゲ海の旅
サンフランシスコ行き
を連発。

平尾昌晃さんは他の教え子とは決してデュエットソングは出さなかったようです。

そうなると、やはりよからぬことを想像しちゃいますよね。

ちなみに、平尾昌晃さんは当時ご結婚されていました。ついでにいうと離婚もされていました。

一番最初に結婚されたのが、1972年で、お相手とされているのが女子大生。

当時平尾昌晃さんは34歳くらいです。最初の嫁とは子供が出来た後に、離婚しました。

その後、1978年に再婚。その時の相手は歌手の小沢深雪さんです。小沢深雪さんとの年齢差は21歳。小沢深雪さんとも結果的には離婚してしまったようです。

後述しますが、平尾昌晃さんの息子平尾勇気さんは小沢深雪さんとの間の子供です。

平尾昌晃さんが畑中葉子さんと知り合ったのは、平尾昌晃さんが最初の結婚生活のときぐらいでしょう。

そう考えて、カナダからの手紙の歌詞を改めて読むと、、、

ラブ・レター・フローム・カナダ
もしもあなたが 一緒に居たらどんなに楽しい 旅でしょう

ラブ・レター・フローム・カナダ
色ずく街を 歩いていると涙がほほに こぼれてきます
あなたの声を 想い出してカナダの夕陽 見つめています
息が止まるような くちづけをどうぞ私に 投げてください

ラブ・レター・フローム・カナダ
あなたの居ない ひとり旅です

不倫を想像させる歌にも思えてきませんか?

平尾昌晃さんがそれほど魅力的な男性だったということでしょうね。

畑中葉子さんは平尾昌晃さんと
『ヨーロッパでさよなら』
というデュエットソングを出し、それ以降は2人の曲はありません。

この頃なのかもしれませんね、2人の関係が終わったのは、、、と想像しているかたもいらっしゃるようです。
 
 
ただ、畑中葉子さんはきっぱり平尾昌晃さんとの関係をこのように述べています。

違うんですよ。平尾先生の好みだ、みたいになってますけど

出典:http://medicalesthe.com:80/

当時2人は男女の中ではないか、、、と書いた週刊誌もあったようですが、、、

東京の八丈町(八丈島)出身の畑中葉子さんが東京に出てきたのは14歳で中二のとき。父親の会社が東京に支店を出すのに合わせての引っ越しだったようです。

そして当時住んでいたマンション「中目黒ハイツ」の隣の隣に住んでいたのが平尾昌晃先生だったのは本当の話です。

歌手になりたかった畑中葉子さんは、近所のよしみで平尾昌晃さんに相談したところ、
「そんなに歌がやりたいなら、僕のところの歌謡教室で勉強したらどうか」って言われ、当時の平尾昌晃音楽学校に入ることになったようです。

カナダからの手紙を出すことになった平尾昌晃さんは、自分の生徒とデュエットすることになり、オーディションの末、選ばれたのが畑中葉子さんでした。

てっきり平尾昌晃さんが畑中葉子さんを選んだのかと思ったのですが、当時のプロデューサーと作詞家の喜多條忠先生らで決めたというのが真相のようです。
出典:http://news.ameba.jp/

だから、畑中葉子さんと平尾昌晃さんが師弟関係以上の男女関係だった言うのは本当に根も葉もないウワサだったのかもしれません。
 
 
そんな畑中葉子さんは1979年に音楽ディレクターの檀雄二さんと結婚されました。しかし8ヶ月で離婚してしまいました。

当時の畑中葉子さんは

「俺は畑中葉子が欲しかったわけじゃない。カナダからの手紙が欲しかったんだ」って社長からはっきり言われて。19歳の女の子がね。ちょうどそのとき、私にレッスンしてくれていた平尾先生のお弟子さん、作曲家のタマゴの男性に気持ちがガーっと傾いていきました。7つ年上で、優しかった。。。

と語っています。
出典:http://medicalesthe.com/(削除済み)

で、畑中葉子さんは現在何をしているかというと、、、

畑中葉子さんは現在何してるの?

一躍人気アイドル歌手になった畑中葉子さんは1980年には女優としても活動を始めます。でも、ただの女優ではなく、今でいうセクシー系で、日活◯◯◯です。

というのも、人気絶頂だったにもかかわらず、所属事務所に内緒で極秘結婚していたからなのです。

なぜバレたかというと、当時元夫が住んでいた中野の区役所から結婚した情報が漏れたからのようです。今では大問題ですよね。

当時のことを畑中葉子さんはこのように振り返っています。

事務所にタテついてデュエットの話を蹴り、ソロでデビューしたんですけど、ベストテンはおろか、100位以内がせいぜい。そうすると風向きも変わってくるんですよ。
今までちやほやしていたプロデューサーからも知らん顔されたりね。逃げたい、もう嫌だ、彼と一緒にいたい。。。って。それで事務所に黙って籍を入れました。

出典:http://medicalesthe.com(削除済み)

仕事をおろそかにしたうえに、わずか8か月で、スピード離婚。

こんなことをしてしまったために、芸能界を干されてしまった畑中葉子さんですが、離婚した元夫の借金が相当あったようです。

勝手に結婚して、勝手に離婚してとワイドショーにも週刊誌にも叩かれて、家に引きこもっていました。
3か月経ったくらいかな、雑誌(担当)の方から連絡をいただいて「そんな風にしていてもしょうがないから、水着の仕事だけど(気晴らしに)グアムに行ってきたら」って

出典:http://medicalesthe.com(削除済み)

それが畑中葉子さんの人生の分岐点だったようです。週刊ポストの水着の仕事だったようですが、そのとき一緒に行ったのが一昨年亡くなった川島なお美さんだったことに驚きました。

水着の仕事がうまくいったあと、すぐに今度はプレイボーイからセミヌードの仕事がきたみたいです。

で畑中葉子さんは、どうなったかというと、

社長に呼ばれて「どうするんだ? アイドルではもうやっていけない。脱ぐんだったらうちで面倒みる」と決断を迫られて。

元夫の借金もあり、畑中葉子さんは腹を決めたみたいですね。

そんな経緯があり、セクシー女優となった畑中葉子さんですが、その時の衝撃をお笑い芸人の玉袋筋太郎さんはこのように語っています。

「畑中さんといえば、ひらひらのスカートをはいて歌っているイメージでしたが、そんな彼女がいきなり日活ロマン◯◯◯に転向した時は衝撃的でした。それで歌のタイトルも『後から前から』でしょ。『後ろからもいけるんだ!』って衝撃を受けました(笑)」

出典:週刊文春

畑中葉子さん主演の映画『愛の白昼夢』は異例の興行収入6億円を記録、その映画で歌ったシングルも大ヒット。その歌のタイトルが『後から前から』です。

アイドルがいきなりそんな歌を歌ったら、誰でも驚きますよね。ダウンダウンの浜田雅功さんは、学生時代、畑中葉子にだいぶお世話になったようです^^

売れると手に平を返すのが芸能界という大人の社会なんですね。

今度は

一本目のロマンポルノがヒットして、打ち上げとしてみんなで食事をしようと六本木の料亭に行ったときに、乾杯してごはん食べていたら急にね、大人たちが座っていた座布団をパッとズラして「畑中さん! 次もお願いします!」って土下座したんです。
21歳の娘にですよ。なんというか、背中に「生活」が漂っていて、私は断ることができなかった。そうして二本目に撮ったのが『後から前から』でした。

だったそうです。
出典:http://medicalesthe.com/(削除済み)

結局4作に出演後、25歳でキッパリやめた畑中葉子さんは、一般男性と再婚し、2人の子供を出産。

旦那は元マネージャーのようです。

同じ事務所スタッフの結婚式に出たんです。その2次会で、当時の(ドラマ・映画・CM担当の)マネージャーにふと手を引かれたのね。
そのときになんか私「男」を感じちゃったんです。
彼は新卒で第一プロに入ってきて、8年間本当にタレントとマネージャーの関係でした。お互い彼氏彼女がいたし、戦友って感じ。不思議ですよ。それが今の夫ですから(笑)。

出典:http://medicalesthe.com(削除済み)

一時芸能活動を休止していましたが、紆余曲折を経て、2010年には芸能界に復帰しました。

コチラのCD発売当時には、なんとシャレでゴムをいっしょにつけたとか(笑)
出典:週刊文春

 
 
で現在はというと、いまもライブを中心に歌手活動をされているようです。

歌手復帰後、デュエットした相手がなんと、平尾昌晃さんの息子である平尾勇気さんだったのです。

コチラが畑中葉子さんと平尾勇気さんの貴重なデュエットシーンです。

畑中葉子さんと平尾勇気さんの貴重なデュエット動画

歌う曲はもちろん、父親の平尾昌晃さんとのデュエットソング『カナダからの手紙』

レア映像はコチラ!


 
 
そして、コチラが本家。平尾昌晃さんと畑中葉子さんとの『カナダからの手紙』です。

平尾昌晃さんと紅白歌合戦で『カナダからの手紙』を歌ったのは1978年で当時18歳

平尾勇気さんと歌ったのは、2011年ですので、52歳の頃。

つまり34年が経ったわけですね。

畑中葉子さんの歌声は変わっておらず、素敵ですね。体型とお顔が大分かわりましたけどね・・・

最後の最後になってすいませんが、畑中葉子さんのプロフィールです。

名前:畑中葉子(はたなかようこ)
青年に:1959年4月21日(現在58歳)
出身地:東京都八丈町(八丈島)
学歴:日本大学櫻丘高等学校卒業
職業:歌手・女優

畑中葉子はこんなことを語っています。

まあ、いろいろあったおかげで、今でも多くの人に「後から前から」や私のことを覚えてもらってるんですけどね。それに、嫌なことって忘れるんですよ。

出典:週刊朝日

そしてこんなことも畑中葉子さんは語っています。

私ね、ずっと色っぽい色っぽいと言われてきて、それが本当に嫌だったの。だけど色っぽさって身につけようと思っても身につけられるものじゃないんですよね。それって私の特技なんだなって今ならそう思える。

出典:http://medicalesthe.com/(削除済み)

本当にいろいろあったのかもしれませんが、このように言えるのって強いですよね。

平尾勇気さんとのデュエットした動画で「歌手畑中葉子がいるのは平尾昌晃先生のおかげ」とキッパリいっていましたが本心なのでしょう。当時2人に何があったのかは2人にしか分かりませんが、、、

平尾昌晃さんの訃報を聞いた畑中葉子さんは「もう一度、先生と歌いたかったです」と号泣していたそうです。天国に旅立った平尾昌晃さんに届くように、これからも歌い続けてもらいたいですね。

最後に、平尾昌晃さんのご家族、関係者の方に心よりお悔やみ申し上げます。

最後まで読んで頂きまして、有難うございました。