演歌歌手の坂本冬美さんと星野仙一さんに子供がいるという噂が立っています。
これは真実なのでしょうか?
にわかに信じがたいこのウワサ。
私はその真相を徹底検証してみました。
その結果はというと、、、
坂本冬美さんとは?
2017年の紅白歌合戦にも出場した演歌歌手の坂本冬美さんのプロフィールを簡単にご紹介しておきます。
名前:坂本冬美(さかもとふゆみ)
本名同じ
生年月日:1967年3月30日(現在50歳)
出身地:和歌山県西牟婁郡上富田町
血液型:O型
学歴:
上富田町立朝来(あっそ)小学校
上富田町立上富田(かみとんだ)中学校
和歌山県立熊野高等学校
放送大学教養学部
職業:演歌歌手
活動期間:1987年 – 2002年、2003年 –
デビュー曲:「あばれ太鼓」
所属事務所:株式会社ティアンドケイ・ミュージック
好きなプロ野球球団:阪神タイガース
取得資格:普通免許、全珠連2級、珠学連準1級、簿記3級、英検3級
高校卒業後、出身地である和歌山の名産「紀州の梅干し」株式会社ウメタに入社。
塩分等を調べる検査員のアシスタントとなるが、NHK「勝ち抜き歌謡天国」に出場し、昭和61年度のNHK「勝ち抜き歌謡天国」(和歌山大会)名人に、さらにその年の「関西演歌大賞カラオケコンクール」に優勝しました。
その際、「勝ち抜き歌謡天国」の歌唱指導を担当していた故・猪俣公章氏のすすめで上京。
猪俣の内弟子を務め、「あばれ太鼓」でデビューしたのが1987年。
その後は「祝い酒」「夜桜お七」とヒットを連発。
紅白歌合戦にも29回出場している、日本を代表する演歌歌手ですね。
その坂本冬美さんに闘将と言われた星野仙一さんとの子供がいるって本当なんでしょうか?
星野仙一さんとは?
その前に、星野仙一さんも簡単にご紹介しておきます。
まずは星野仙一さんが2018年1月6日亡くなってしまいました。
70歳という年齢で。
心よりお悔やみ申し上げます。
名前:星野仙一(ほしのせんいち)
生年月日:1947年1月22日(享年70歳)
出身地:岡山県児島郡福田町
身長・体重:180cm・80kg
経歴:岡山県立倉敷商業高等学校-明治大学-中日ドラゴンズ
コーチ・監督歴:
中日ドラゴンズ (1981 – 1982, 1987 – 1991, 1996 – 2001)
阪神タイガース (2002 – 2003)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011 – 2014)
現在:株式会社楽天野球団取締役副会長
選手時代の通算成績は146勝121敗34セーブ。
星野仙一さんは、自著で
「プロのピッチャーとしては200勝に到達できない二流の成績で終わったが、気持ちと気迫と気合いだけは誰にもひけをとらなかった思っている」
と語っています。
その気持ちと気迫は監督としても受け継げられ、「鉄拳制裁」という代名詞がつくほど熱い指導をされていましたよね。
中日時代はリーグ優勝2回経験しました。
そして低迷していた阪神を闘将ぶりを発揮し、リーグ優勝に導きました。
さらに、北京オリンピック野球日本代表の監督も務め、その後、東北楽天ゴールデンイーグルスの2代目3代目監督に就任。
2013年には見事初のリーグ優勝、さらには宿敵巨人に勝利し日本一の栄冠も手にしました。
2014年に楽天の監督退任後、株式会社楽天野球団取締役副会長に就任。
2017年度野球殿堂顕彰者(エキスパート表彰)にも選出され、2017年12月には元気な姿を見せていましたが、、、
2018年1月4日、突然病状が悪化。
70歳という年齢で天国に逝ってしまいました。
個人的に私も好きな監督でしたので、非常にショックですが、それよりショックなのが、坂本冬美さんとの子供がいるというウワサがあることです。
本当なんでしょうか?
坂本冬美さんと星野仙一さんに子供の噂徹底検証
そもそもなぜこんな坂本冬美さんと星野仙一に子供がいるというウワサがあるんでしょうか?
徹底検証してみました。
まず星野仙一さんは中日ドラゴンズ監督時代の1997年に白血病で7年間の闘病生活を送っていた扶沙子夫人を亡くしています。
そのまま再婚しずに過ごしていましたが、2003年に週刊現代に坂本冬美さんとの再婚報道を報じられました。
週刊現代が報道したことにより、子供もいるのでは、というウワサが立ったようです。
また、こちらのヤフー知恵袋には、、、
「歌手の坂本冬美が星野仙一の子供を産んだって本当ですか?」
の質問に対して、
本当です。
私の○○○が某キー局でXXXをしています、その者から直接聞いた話です。
その者が言うには、「冬美がどうしても星野さんの子供が欲しい」と言い張って無理やり生んだとの事です。
あとその子供は母親の実家だったか姉妹だったかは忘れましたが(1年以上前の話なので)、養子にしているとの事です。※確か母親の実家の養子だった方だったと記憶があります
ちなみにこの話をしてくれた○○○ですが、人事異動の際にはネット上に名前が出てくるレベルの人間です。
その者が手がけた番組名でも書けばなぜそんな事を知っているのか皆納得出来るはずですが、その者はおろか下手をすれば私も特定されてしまう可能性があるので書けませんw
との書き込みがありました。
いかにも信憑性があるような書き方ですよね。
坂本冬美さんが星野仙一さんとは結婚せずに子供を産んだといわれているのは2002年ごろです。
当時坂本冬美は33歳。
ちょうど坂本冬美さんが体調不良で歌手活動を一時期休止していた時期です。
この時期に子供を産んでいた、というウワサがあります。
さらに、その子供は現在坂本冬美さんの実家の養子となり、三重県の学校に通っているというウワサまであります。
ただ、星野仙一さんはこのように完全否定しています。
「(坂本と)お会いしたこともない。相手に失礼や。こんないい加減なものを…。
しかるべき措置をとります。笑いが出るけども、実際に書かれて、記事になったらそう(事実だと)思われる。断固たる措置をとる。きっちり法的措置をとります」
坂本冬美さんと星野仙一さんに子供のウワサを徹底検証した結果、私がガセネタだと結論づけました。
私はこの星野仙一さんの言葉が全てだと思います。
星野仙一さんはウソをつくような方ではありません。
星野仙一さんの言葉の通り、坂本冬美さんに失礼です。
週刊誌が徹底的な取材により記事を書かれたのか非常に疑問に思います。
インターネット社会ではウワサが出回ることも、そのウワサがあたかも真実かのように報道されます。
私たちは、そのウワサに惑わされることなく、見極める必要が今まで以上にあるということが言えるのではないでしょうか。
ただ、このウワサは本当のようです。
どんなウワサかというと、、、
坂本冬美さんの弟に逮捕歴あるのは本当!?
坂本冬美さんの実弟、坂本誠次が、賭博開帳図利の疑いで和歌山県警に逮捕されたことは事実です。
坂本誠次容はプロ野球公式戦の勝敗を1口1万円で客に予想させた疑い。暴力団組員とともに2009年10月18日に捕まりました。
2009年の紅白歌合戦出場も危ぶまれましたが、出場し「また君に恋してる」を披露されました。
2017年も見事な歌「男の火祭り」を紅白歌合戦で見せてくれましたよね。
弟の坂本誠次が逮捕され、すでに8年経過していますので、もう大丈夫かと思いますが、足を引っ張られないで素敵な歌声を聴かせてもらいたいですね。
それにしても、星野仙一さんの訃報にはショックですし、坂本冬美さんの子供のウワサがあることに大変ショックを受けています。
ただやはりこんなに奥様を愛した星野仙一さんが裏切る訳ありません。
この話は、中日ドラゴンズの佐藤社長がたまたま東京新聞の幹部社員研修会でKさんという方が話された内容に感動して、中日ドラゴンズの公式サイトの連載シリ-ズ「キャッチボール」の第33回に掲載されたものです。
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<中日ドラゴンズの公式サイト連載シリ-ズ「キャッチボール」第33回より転載>
◆最近、ある文章を読んですごく感動した。ドラゴンズ・ファンの皆さまにぜひ読んで頂きたいと願って
ご紹介します。
その文章は、東京新聞(中日新聞東京本社発行)の販売関係の幹部社員研修会で、Kさんという方が話された内容を記録したものということである。
昨年秋、中日ドラゴンズが11年ぶりに優勝を決めた数日後のこと。北関東を担当するKさんは会合に出て遅くなり、タクシーに乗った。運転手が『ジャイアンツが優勝できなくて残念でしたね』と話しかけてきた。北関東はジャイアンツ一色の土地柄であり、Kさんも当然ジャイアンツ・ファンだろうと思ったらしい。
Kさんが『いや、私はドラゴンズの関連会社に勤めている者だ』と言うと、運転手は『そうですか、ドラゴンズの関係者でしたか。実は、私も平成9年の暮れからドラゴンズの熱烈なファンになりました。特に星野監督さんの男気が好きなんです』
『お客さん、もしお耳障りでなかったら、聞いていただけませんか』。運転手はこう言って、話し出した。◆(以下はタクシーの運転手さんの話である)
私は生まれた時からジャイアンツの洗礼を受けて育った者です。両親も弟も親戚もみんな、野球はジャイアンツでした。私の弟は名古屋で葬儀社の運転手をしておりまして、偶然星野監督の奥さんの葬儀の霊柩車の運転をさせて頂きました。出棺の際、監督は大勢の弔問客に涙をこらえながら『妻はナゴヤドームでお父さんの胴上げを見たいね。それまで生きていたい、と言い続けていました』と挨拶しました。いよいよ火葬場へ出発の段になって、星野さんは後続の運転手に何事か話し、霊柩車には自分一人にしてくれと言って、出発しました。星野さんは弟に『運転手さん、ナゴヤドームヘ行って下さい』。
前例のないことに、弟は『ナゴヤドームですか?』と驚いて聞き返した。霊柩車はそぼ降る小雨の中、ドームを一周し、雨よけのひさしのある所に止めた。
監督は『運転手さん、家内の棺を出したいので、手伝って下さい。全部下ろさなくてもいいですから、下ろせる所まで下ろしたいのです』。弟は何事が起きるかと恐れながらも、それに従った。棺は頭の方を車にかけ、斜めに下ろされた。
すると監督は『運転手さん、5分間だけ泣かせて下さい』と言って、棺にすがりついて号泣した。
『なぜ死んだんだ。ドームでパパの胴上げを見たいね、それまで頑張ると約束したではないか。かあさん、なぜ死んだんだ!』
弟は感動に打ち震えながら、監督に負けないくらい泣いたとのことである。監督は『必ず優勝して見せる。かあさん、見守っててくれ』と言って、火葬場へ向かった。
弟はその年の暮れ、正月前に休暇で帰った際、親戚が集まった席でこの出来事を涙ながらに語った。弟はこの日のことは一生忘れないと言ったが、私たちだって星野ドラゴンズを決して忘れない』
◆この話を聞いたKさんも、それを話す運転手さんも泣いた。
『お客さん、この話は初めて人に話すことなんです。誰かに伝えたいと、いつも思っていました。今日、やっと弟の感動をお客さんに話すことが出来ました…』Kさんはタクシーの運転手の話を通して『男・星野』を熱く語った。会合の出席者は涙にうるんだ瞳に、星野監督のドームでの情景を思い描き、改めて優勝を誓った闘将星野と、それを実現させた選手諸君の執念に感激を覚えた。
(文章の筆者は『中日新聞研修センターCMC・篠原弘明氏』)
星野仙一さんに、改めて心よりお悔やみ申し上げます。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。